水沢の後藤記念館とイケメン新平
インド太平洋構想のルーツに亜細亜主義があるのではと、ハウスホーファーや玄洋社を読んでみたがよくわからなかった。後藤新平が伊藤博文に広島の宮島で大亜細亜主義を語っているのは後藤の「厳島夜話」で知った。
何度か読んでいる後藤の「日本植民政策一班」の付録に4ページほどの「大亜細亜主義」があるのを最近知って、読んだが、漢字がわからず。
誰か現代語訳してませんか?と聞きまわったら、後藤の郷里、奥州水沢の後藤新平記念館の方がなんと整理してくださった。
ルビをふってくださっておりそのままこぴぺできなので、外した形で少しづつ紹介したい。
なお「日本植民政策一班」は大正3年に講演した内容を整理し、大正10年に拓植新報社から発行されている。本来であれば後藤を師と仰いだ李登輝研究者とかが専門的に取り上げる内容のはずだが、誰も、この文章の存在さえ知られていないようなので、この分野素人ではあるがご紹介したい。間違い、勘違い、思い違いは遠慮なくご指摘ください。なおエビデンスは必須です。エビデンスなき指摘はお断りします。
「大亜細亜主義」
極垠…極限。かぎり。はて。
畛域…範囲または境界。分別。
康楽…安らかに楽しむ。
涘…流れの止まる水際。
索居…ひとり寂しく暮らす。
洲土…その洲の地。
民人…一般の人々。
機枢…物事の重要なところ。かなめ。
貪覬…むさぼり望む。
神権…神の権威。絶対王政の観念。
漢字の解説も後藤記念館のみなさんの作業です。難しい。解説なんかできない。
ただし次の箇所は後藤の植民政策をよく知ることができる箇所である。後藤は台湾統治に関して、英国の香港統治を模倣したのである。その香港統治とは現地の文化歴史人材を育てることである。(どこで読んだか忘れた。多分この植民政策一班だと思うが後で確認)
貪覬…アジア州以外の国がむさぼり望むことを後藤は断固否定していたのだ。しかしそれは排外的ではなかったはずだが、厳島夜話では伊藤公が西洋列強の感情を逆撫でするものと否定している。
「アジア洲はアジア洲人のアジア洲なり、アジア洲中の機枢はすべからくアジア州人に由てこれを主宰すべく、必ずアジア洲外の国をして貪覬する所あらしむべからず、」