「海人族と神武東征物語」 黛弘道著

関西に居を構えて、神武東征の足跡を辿る旅を何度か実行した。

頭の悪い、意地悪な、上から目線おじさんたちが「神武が本当にいたと思っているのか?」と聞いてくる。

いたに決まっているのではないか。いや誰かがこの地域を統合しようと試みたのだ。また神話学なるまともと学問分野もおじさんたちは知らないのであろう。とはいえ自分の専門分野ではないので探索の道いは険しい。

たどり着いた文献が

「海人族と神武東征物語」 黛弘道著

 

ウィキには・・

黛 弘道(まゆずみ ひろみち、1930年4月24日 - 2010年12月17日)は、昭和平成時代の日本歴史学者。専攻は日本古代史。学習院大学名誉教授。

東京大学教授の坂本太郎の弟子。律令国家律令制度の成立史に関する研究で博士号を取得した。

 

100ページ近い論文で数日かけて読んだ記憶があり、再読したいと思って探してら出てきた。この手の本は素人が山ほど書いているので、注意して専門家の本を探す必要がある。読むのは肩が凝るが、トンデモ話にならないことが歴史を知る上で重要だ。

矢内原の委任統治論文

矢内原は2つの、少なくとも2つの委任統治制度に関する論文がある。

ごっちゃになっていたのでメモ。

一つ目が1932年7月『国家学会50周年記念国家学論集』に掲載された「植民政策より見たる委任統治制度」これは戦後昭和23年に発行された『帝国主義研究』に納められている。

 

もう一つが1933年6月「中央公論」に掲載された「南洋委任統治論」でここに蝋山の生命線を持ち出した植民政策は、ひどく批判している。批判されるのは当たり前なのだが。。

 

後者は恩師、新渡戸が亡くなる3ヶ月前の原稿だ。

ドイツ帝国文化闘争を解決したカロライン諸島領土紛争


ドイツの植民政策を理解する事はインド太平洋理解に必須である。

高岡熊雄著『ドイツ内南洋統治史論』にパラオ、ヤップなどのカロライン諸島をめぐる、スペインとドイツの領土紛争を、ビスマルク教皇レオ13世に仲裁を依頼し解決したことが詳細に書かれている。スペインとドイツ、そして教皇三者の面子を立てたソロモン裁定と高く評価された。

ドイツ北部、プロイセンプロテスタントであるビスマルクがドイツ南部のカソリックと近い教皇に依頼した意味は大きい。このカソリック問題こそが文化闘争と言われるドイツ統一の課題であったからである。しかし、カロライン諸島紛争が起こった1885年頃にはドイツ統一はある程度進み、カトリックとの対立、すなわち文化闘争もビスマルクの頭痛の種ではなかったのだ。その背景には、カロライン諸島領土紛争で、ビスマルク教皇との、すなわちカトリックとの関係が良好になったことも挙げられるであろう。

ドイツ統一の詳細を知らなかったが、『ドイツ帝国と文化闘争』という論文を見つけた。広実源太郎氏の論説(史林 1951)である。多分まだ20代か30代の若き研究者の論文ではないかと思う。広実にはウィーン革命やハンガリー革命の論文があるので欧州研究の専門家なのであろう。同論文には文化闘争とは1871年ドイツ帝国統一直後に開始され、1886年頃に終了したとあるのでまさにこのカロライン諸島領土紛争解決と共に終了したのである。数本の論文を読んだだけで判断できないが、カロライン諸島領土紛争でプロテスタントビスマルクと、カトリックのレオ13世とスペインが和解したことこそが、この文化闘争を終了させたのではないか?

このドイツ国内のカトリックグループは政党を作りこれがキリスト教民主同盟(CDU)の原点になっているのだ。やはり旧独領太平洋島嶼国とドイツは今につながっているのだ。そして領土紛争解決は国際法の正確な判断ではなく、レオ13世が、ビスマルクが行った高度な国際政治手腕であることを、この例から学ぶことができる。

パラオはスペインに植民されていない?

 

レオ13世とビスマルク。文化闘争はビスマルクの失敗ではなかった。背後にパラオ、カロライン諸島の領有権問題があった!

Even those who claim to be scholars and experts do not know the history of the Pacific Islands. They speak from their own assumptions. Anyone who writes or speaks that "Palau was a colony of Spain, Germany, Japan, and the United States" should assume they know nothing about it.

There is no historical fact that Spain colonized Palau and the Caroline Islands after the Treaty of Tridecillaes in 1494, which divided the earth into two parts with Portugal.

In the 19th century, Anglo-German trade was intensified, and at first the Prime Minister and Foreign Minister of Spain claimed no sovereignty at the Palau and Caroline islands, but then public opinion and the media started to make a noise.

Bismarck made a wise decision to leave the arbitration to Pope Leo XIII to avoide the Spanish-German War. Leo XIII responded to Bismarck's expectations and issued a decision known as the "Solomon Judgment". That is, sovereignty went to Spain and trade and commercial rights went to Germany.

Nearly 400 years after the Treaty of Tridecillaes, Spain established its first administrative authority, but their colonial administrations were all failures. The Caroline Islands colony became a further burden on the declining nation. Then came the defeat in the Spanish-American War in 1898. Germany, hoping to take advantage of the war, began negotiations with Spain, which had been impoverished by the war, and under the Spain-German Treaty of June 30, 1899, bought the Caroline and Mariana Islands for half of Spain's asking price.

The details are in Prof. Kumao Takaoka's book, "The History of German Inner South Sea Governance," which I spoke about in my Twitter space as I chewed through it, and you can listen to it until early October.

 

学者や専門家を名乗る人々でさえ、太平洋島嶼国の歴史を知らない。思い込みで語っている。「パラオはスペイン、ドイツ、日本、米国の植民地でした」と書いたり話す人は何も知らないと思った方がよい。

スペインが1494年にトリデシリャス条約で地球をポルトガルと二分してから、パラオ、カロライン諸島を植民した史実はない。19世紀に英国ドイツが貿易を活発化させ、当初は首相、外相は主権を主張しないとしていたが、世論とメディアが騒ぎ出したのだ。西独戦争直前でビスマルクが賢明な判断をし、教皇レオ13世に仲裁を任せた。レオ13世もビスマルクの期待に応え、ソロモン裁定と呼ばれる判断を下した。即ち、主権はスペインに、貿易商業権はドイツに。

トリデシリャス条約から400年近く経ってスペインは初めて行政機関を置くがその植民は悉く失敗。カロライン諸島植民は衰退する国家にさらに負担となった。そして米西戦争の敗北。ドイツは漁夫の利を得ようと戦争で貧窮するスペインと交渉を開始。1899年6月30日の西独条約の下、スペインの言い値の半分でカロライン諸島マリアナ諸島を買ったのである。

詳細は高岡熊雄著「ドイツ内南洋統治史論」にあり、これを噛み砕きながらツイッタースペースで話しました。10月初旬まで聞けると思います。

 

2022/9/13 インド太平洋ポッドカフェ「ドイツ南洋統治史論」🇩🇪
2022/9/14 インド太平洋ポッドカフェ「ドイツ内南洋統治史論」番外編ビスマルクカトリック
2022/9/15 インド太平洋ポッドカフェ「ドイツ内南洋統治史論」三回目ビスマルク教皇の裁断
2022/9/18 インド太平洋ポッドカフェ「ドイツ🇩🇪内南洋統治史
2022/9/19 インド太平洋ポッドカフェ「ドイツ内南洋統治史論」最終回

 

On the Death of Prime Minister Abe: Moon and Sasakawa in the Pacific (4)

Two weeks have passed since the murder of Prime Minister Abe. Criticism of the Unification Church has become apparent, just as the suspect, Yamagami, had expected. I was vaguely aware of the existence of the Unification Church in the Pacific.

In the 1990s, when I visited Pacific island countries, I was often asked.

"Are you Moon?"

"No, I am from Sasakawa."

A Japanese woman in her twenties, just like me, had been sent to Pacific Island countries by the Unification Church and had made connections with local influential people. I checked the Unification Church's web site this time and found that they have been holding international conferences, etc., with a local secretary general since early 2000. It covers 159 countries around the world, including 11 Pacific island countries and regions.

It is certain that the Unification Church has penetrated widely in the Pacific. I would also like to mention that a Japanese man who seems to be related to the Unification Church has been persistently approaching me. His name on Linkedin is "3rd Blessing Independent Institute. This name is exactly like the Unification Church itself. Of course, he does not call himself the Unification Church at all. The fact that his affiliation is unknown made me suspicious. That is why I have kept my distance from him. I was not interested in the content of the proposal, which was nothing more than a bunch of dazzling letters.

The words "island unification" proposed by Mr. Nakajima were found in a document obtained by Mr. Arita, a former member of the House of Councillors who has been chasing the Unification Church issue. Domestic expenses of 900,000 yen per month are recorded for "island unification". Although extremely small compared to other amounts, the "Islands Unification" is clearly one of the Unification Church's projects.

When I was twittering about the Unification Church and the Pacific Islands and Oceans issue, a follower told me that Moon Myung Moon had published a book titled "Pacific Rim Providence". Pacific islands and oceans were clearly a target of the Unification Church.

In doing research in the wake of Prime Minister Abe's death, I began to see how Sasakawa did not simply support Moon Myung Moon, but was the first to recognize its advantages and bring it to Japan. I also learned that Kodama and his yakuza associates had established the Shōkyō Rengō, which engaged in illegal activities such as the importation of weapons under the guise of anti-communism. They have maintained a terrorist group (some described it as a Shinto yakuza) that has been around since before the war.

The Pacific Moon and Sasakawa may be one and the same.

 

安倍総理の死に接して:太平洋のムーンとササカワ(4)

安倍総理殺害から2週間が経過した。山上容疑者の思惑通り、統一教会に対する批判が顕在化してきた。統一教会の存在は太平洋で朧げに知っていた。

90年代、太平洋島嶼国を訪ねるとよく聞かれたのだ。

「あなたムーン?」

「いえ、ササカワ」

私と同じ20代の日本人女性が統一教会から太平洋島嶼国に派遣され現地有力者とコネクションを作っていた。今回統一教会のウェブを確認したところ、2000年初頭から現地に事務局長を置いて国際会議などを行っている。世界の159ヵ国をカバー。11の太平洋島嶼国・地域が入っている。

統一教会が太平洋に広く浸透していることは確かである。そして、その関係者らしき日本人男性が執拗に私にアプローチしてきた事も書いておきたい。「島嶼連合」というアイデアを提案してきた中島昌という人物である。Linkedinには第3祝福独立研究所とある。この名称はまさに統一教会そのものであろう。もちろん本人は統一教会とは一切言わない。所属が不明な事が怪しいと思わざるを得なかった。それで距離置いてきた。提案内容も文字が躍るだけのレベルで興味もわかなかった。

その中島氏が提案する「島嶼連合」という文字が、統一教会問題を追いかける前参議院議員の有田氏が入手した資料にあったのだ。毎月90万円の国内経費が計上されている。他の額に比べれば極端に少ないが「島嶼連合」は明らかに統一教会の事業の一つとなっているのだ。

統一教会と太平洋島嶼国、海洋問題を呟いていたらフォロワーの方から文鮮明が「環太平洋摂理」という本を出していることを教えてもらった。太平洋島嶼と海洋は明らかに統一教会のターゲットになっていた。

安倍総理の死に接して調べる中で、笹川は単に文鮮明を支援したのではなく、その利点を最初に認識し、日本に呼び込んだ様子が見えてきた。児玉とそのヤクザ仲間で勝共連合を設立し、反共を名目に武器の輸入など違法行為を行っていたこともわかった。戦前から続くテログループ(神道ヤクザという表現もあった)を維持しているのだ。

太平洋のムーンとササカワは一体、なのかもしれない。

 

安倍総理の死に接して:北朝鮮・拉致問題

 

第2号 平成16年12月2日(木曜日)

平成十六年十二月二日(木曜日)

    午前十時開議

 出席委員

   委員長 赤城 徳彦君

   理事 近藤 基彦君 理事 佐藤 剛男君

   理事 宮路 和明君 理事 渡辺 博道君

   理事 長島 昭久君 理事 松原  仁君

   理事 渡辺  周君 理事 池坊 保子君

      安倍 晋三君    小野寺五典

      上川 陽子君    笹川  堯君

      西銘恒三郎君    根本  匠君

      平沢 勝栄君    水野 賢一君

      宮下 一郎君    菊田まきこ君

      田中 慶秋君    中井  洽君

      中川 正春君    西村 真悟君

      笠  浩史君    漆原 良夫君

      赤嶺 政賢君

    …………………………………

   内閣官房副長官      杉浦 正健君

   外務副大臣        逢沢 一郎君

   外務大臣政務官      小野寺五典

   政府参考人

   (内閣官房拉致被害者・家族支援室長)       小熊  博君

   政府参考人

   (警察庁警備局長)    瀬川 勝久君

   政府参考人

   (警察庁警備局外事情報部外事課長)        北村  滋君

   政府参考人

   (法務省入国管理局長)  三浦 正晴君

   政府参考人

   (公安調査庁次長)    柳  俊夫君

   政府参考人

   (外務省アジア大洋州局長)            薮中三十二君

   政府参考人

   (海上保安庁長官)    石川 裕己君

   衆議院調査局北朝鮮による拉致問題等に関する特別調査室長          前田 光政君

    ―――――――――――――

委員の異動

十二月二日

 辞任         補欠選任

  宮下 一郎君     安倍 晋三君

同日

 辞任         補欠選任

  安倍 晋三君     宮下 一郎君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 閉会中審査に関する件

 北朝鮮による拉致問題等に関する件

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赤城委員長 次に、安倍晋三君。

安倍委員 今回の第三回目の実務者協議、日本側の代表団の皆様、大変な交渉をしてこられたというふうに思います。

 今回持ち帰られた資料の中に、横田めぐみさんの三枚の写真がございました。そのうち二枚については修整がなされ、そして捏造の部分がある、こういうふうに言われておりますが、幾つかの真実も含んでいるわけであります。

 それは、横田めぐみさんが十三歳のときに拉致された後、余り時間を経ずに撮られたのではないかという写真であります。その不安げな姿は、まさにそのときのめぐみさんの気持ちをあらわしているんではないか、こう思います。めぐみさんの目は不安におびえ、そして、何とか助け出してください、こう私たちに訴えかけている、こう思います。しっかりと政府側にも、その横田めぐみさんの気持ちを受けとめて、この問題に全力を傾けてもらいたい、このように思います。

 二〇〇二年の調査は、国防委員会のもとにつくられた調査委員会によって調査が行われたものを持ち帰ってきたわけでございます。その資料等に対しまして、日本側は百五十余りの疑問点を示して幾つかの矛盾をついたわけであります。北朝鮮側は、これに耐えられずに、そのときに示した死亡診断書や死亡台帳を、あれは事実上捏造であったと認めたというふうに私は思います。

 先方の主張は、捏造という表現は使わずに、誤記だったというふうに言っています。もし、新たにいろいろな資料を集めて、そして新たに作成したものであるというふうに向こう側がそのときに説明していたのであれば、それは誤記という言いわけが成り立つわけでありますが、そのときに彼らは、その時々の死亡時につくられた死亡診断書あるいは死亡台帳の原本をそのままコピーしたと言って渡した。しかし、それは全く実はそうではなかったということであれば、それは捏造をしていたというふうに判断せざるを得ない、こう思うわけでありますが、政府側の御見解を伺いたいと思います。

逢沢副大臣 今、安倍先生御指摘の、二〇〇二年の調査時に北朝鮮側から提示のありました、いわゆる死亡証明書に関してでございますが、先般の平壌におきます三回目の日朝実務者協議におきまして、北朝鮮側は、当時、記録としてなかったので急いでつくった、そういう趣旨の説明をいたしました。したがって、その記述が虚偽であったことを認めたということであります。

 なぜ、では二〇〇二年当時、北朝鮮側はそのような対応をしたのか。それは明らかではないわけでありますけれども、その時点で作成をした死亡証明書がそのようなものであったと北朝鮮側が認めた以上、その北朝鮮側の対応は捏造と批判されても仕方がないものであるというふうに明確に政府としては認識をいたしております。

安倍委員 二〇〇二年にそうした死亡診断書を捏造した医師、もし日本においてそうした死亡診断書を医師が捏造したとすれば、医師法及びいろいろな法令に反するわけでありまして、医師免状をこれは取り上げられるわけであります。

 今回もその同一人物の医師が出てきていろいろと説明し、記録を出したということであります。一度このように捏造した、極めていかがわしい人物と言わざるを得ない人物によって再び提出された資料等を、今回、そうした資料、情報を精査することにどれほどの意味があるのか、こう思わざるを得ないわけでありますが、政府の御見解を伺いたいと思います。

杉浦内閣官房副長官 先生の御指摘はごもっともでございますが、私どもは、目下、そういう得た資料を精査しておるところであります。

 そういうものもありますが、交通事故の現場を見ましたり、関係者から事情聴取も行っております。さまざまな物証を持って帰っておりますので、それをきちっと精査した上でこれからのことを考えていきたいと思っております。

安倍委員 北朝鮮という国は、国ぐるみで覚せい剤をつくり、そして、日本にそれを事実上輸出している。また、にせ札もつくる。そういう国ぐるみでそうした犯罪行為を行う国を相手に交渉せざるを得ない政府側もそれは大変だというふうに思うわけでありますが、そういう認識で彼らの証言を聞き、彼らが出した資料を見なければいけない。幾ら政府がそれはしっかりとしたものであると言っても、それには何の信頼性も実は置けないのであるということではないだろうか、こう思うわけであります。

 今回、横田めぐみさんのカルテのコピーが日本側に渡されたわけでございます。先般、委員会におきまして、薮中局長が、このカルテは本物であると、ある種の信憑性があるというふうに発言されたというふうに私は報道で見たわけでありますが、その中に挟まっている、例えばレントゲン写真、あるいは歯の歯列の資料等がもし本物であったとしても、北朝鮮が主張している、いわゆる死に至るまでのこのカルテの中身すべてが、これが本物であるかどうかというのは、これはなかなか私はわからない。幾らその見た目が古くても、見た感じが古くても、これはもしかしたら、三十年前の全く別人のものであったかもしれない、こう思うわけであります。

 彼らが本当に、これは絶対に本物であるという自信のもとに出すのであれば、これは、まさに正常化がかかっている、そして金正日委員長が白紙から調査をしろというふうに言った、まさに金正日委員長の命令であるわけでありますから、当然その本物を出さなければいけないにもかかわらず、なぜ彼らはコピーしか渡さないのかということでございます。

 保管義務がある、こう言っているわけでありますが、遺骨を渡すことができて、なぜ本物のカルテを渡すことができないのか。そのカルテの紙の質あるいは古さ、またインク等から、その記載の年月日を日本側に推測されるのを恐れたのではないか、こう思わざるを得ないわけでありますが、先方の説明について伺いたいと思います。

薮中政府参考人 お答え申し上げます。

 ただいま委員御指摘のカルテというのは、横田めぐみさんの、先方の説明でございますけれども、北朝鮮に拉致されて以来の相当長い期間における、いわゆる六九五病院におけるいろいろの診察のカルテでございました。これは、二〇〇三年の九月まででございまして、今回先方から説明があった内容としての二〇〇四年の三月から四月ということではございませんで、それ以前の二〇〇三年の九月までの六九五病院における診察のカルテでございました。

 そして、これにつきましても、もちろん我々としては、今委員御指摘のとおり、その中にもさまざまの資料もございます。そして、我々は、それについては二日間にわたって、現物を手にして、そしてまた我々の専門家の目でも見て、コピーもきちんと我々の方でとったわけでございますけれども、先方はそれについては、亡くなられた方についてのカルテというのは保管義務があるんだということを一応説明しておりました。

 我々としては、先般も申し上げましたとおり、これをきちんと我々の持っているさまざまの情報と突き合わせて、当然検証していく必要があるというふうに考えております。

安倍委員 しかし、実際そのカルテを検証しても、これは医学的にいわゆる間違いがなければ我々はそれ以上の追及のしようもないわけであります。また、先ほど申し上げましたように、レントゲンの写真が横田めぐみさんのものと突き合わせてそれは本物であろうと推測されれば、それはそうであるというにすぎないわけでありまして、それは、北朝鮮において彼女が精神に障害を来し、そしてみずから死を選んだということの証明には全くつながらない資料でしかないわけですね。つまり、我々にむだな時間を割かせるためにそういうものを出してきたというふうにしか基本的には考えられない、私はこう言わざるを得ない、こう思うところであります。

 先ほど平沢委員が質問いたしましたことに関連いたしまして、辛光洙、金世鎬、魚本公博の三名の拉致実行犯を警察庁は国際手配しているわけであります。国際手配をするということは、当然、入念な捜査の結果、これは恐らく、まず犯人に間違いない、そう確信してこの三名を国際手配したんだろう、こう思うわけであります。

 この三名については、共犯はすべて事実上自供をしている。辛光洙も、韓国の裁判で事実上自供をし、捜査において自供をして、そしてクロの判決を受けたわけであります。警察庁として、この三名は間違いがない、こう考えるに至った理由等を今ここで述べていただきたいというふうに思います。

薮中政府参考人 失礼いたします。

 先ほどの答弁の中で二〇〇三年と申し上げましたけれども、一九九三年の九月、そしてまた一九九四年の四月でございますので、訂正させていただきます。

瀬川政府参考人 お答えいたします。

 北朝鮮による日本人拉致容疑事案の捜査というのは、実は大変証拠等が乏しいという状況の中で捜査が行われる大変難しい捜査でございますが、今御指摘の三名の手配の関係につきましては、警察といたしましては、関係者からの事情聴取、あるいは裏づけ捜査、あるいは国内外の関係機関との情報交換等々を尽くしまして、長期間にわたる地道な捜査の結果、法と証拠に基づきまして、原敕晁さん拉致の実行犯である辛光洙につきましては免状等不実記載、旅券法違反、出入国管理法違反、それから有本恵子さん拉致の実行犯である魚本公博、これはよど号犯人であります旧姓安部公博でありますが、結婚目的誘拐、それから宇出津事件の主犯格であります北朝鮮工作員の金世鎬につきましては国外移送目的拐取ということで、令状の発付を得まして国際手配を行っているところでありまして、法と証拠に基づきまして、警察はこれら三人につきまして確信を持って手配をしているところでございます。

安倍委員 今まさに、確信を持っている、我が国の捜査当局としてこの三名は実行犯であるという確信を持っているという答弁がございました。当然、共犯の自供もありますし、数々の証拠もあるんだろうと思います。

 それに対して、北朝鮮側は今回の交渉において、我々は引き渡しを要求したわけでありますが、そのときの北朝鮮側、先ほど平沢さんの質問に対しても若干それに触れる答えがありましたが、どういうふうに彼らは返答したのかということをお伺いしたいと思います。

薮中政府参考人 お答え申し上げます。

 我が方からのこの三名についての引き渡し要求に対しての先方の回答でございますが、辛光洙については、原敕晁さんが辛光洙との利害関係の一致により北朝鮮に来たものであり、辛光洙の処遇は北朝鮮側内部の問題であるという説明がまずございました。

 そして、金世鎬及び魚本公博については、これらの者がそれぞれ久米裕さん及び有本恵子さんの拉致に関与したとの調査結果は得られなかった旨の北朝鮮側からの応答があり、我々としては、当然これは納得いかない、承服いかないということはもちろん指摘した次第でございます。

安倍委員 つまり、我々はこの三名が実行犯であるというふうに確信をしている、しかし彼らはこの三名は全然関係ないというふうに答えたわけであります。この一点をもってしても、彼らはこの問題を解決しようと考えてはいない、誠実に対応しようと考えていないと私は断ぜざるを得ない、こう思うんですね。

 そしてまた、北朝鮮にいる拉致実行犯、この三名以外については、残念ながら我々は把握をしていないんですね。だれがやったのか、どこのだれがやったのかわからない。この中で、向こう側がこの人を処罰したと言っても、その人物が果たして本当にいるかどうかもわからないんですね。

 その他の人たち、彼らが実行犯としてこういうふうに対処した、こういうふうに言っても、我々は検証のしようがないのではないだろうか。今回、向こう側から、何人かの実行犯は死亡している、あるいはこういうふうに対処したというふうに言ってまいりましたが、この検証のしようがないんじゃないですか。

薮中政府参考人 まさに委員御指摘のとおりでございまして、そのときの一番我々のもどかしい点は、実際何があったのかということについての実行犯、そしてそれについての直接の証拠がどういうふうにあるのか。先方の説明による交通事故云々というのはございますけれども、それについては特殊機関が当時の書類を焼却してしまったという説明がございまして、したがって、我々としては間接的に、そのときの状況についての、あるいは現場にいた人たちからの話を聞くということで間接的にしか真相に迫れないということは極めてもどかしい思いをしておりますけれども、そういう意味では、今の委員の御指摘の点というのは我々も非常に痛感している点でございます。

安倍委員 そこで、今回、日朝交渉の結果、彼らがこの問題をまじめに解決しようとしているかどうか。つまり、日朝間の問題を前進させようとしているかどうか。もし全くそういう誠意が見られないのであれば、平壌宣言に彼らは反している、こう断定せざるを得ないと思うんですね。その判断基準をどこに置くか。

 私は、他の実行犯をどう処罰しようと我々は検証のしようがない。だから、これを除外しなきゃいけない。そして、先ほど申し上げましたように、カルテがどうかということを幾ら検証しても、これは彼らがまじめにこの問題に取り組もうとしたかどうかいう証拠には全くならないと思うんですね。ただ唯一、めぐみさんの遺骨と言われるものを提出しました。たとえそれが本物であったとしても、彼らが言っているとおりなのかどうかはもちろんわかりません。もしこれが全く別人のものであるということがはっきりすれば、これはもう全く彼らと交渉してもむだだと断じざるを得ないと思います。

 しかし、それと同じように、今私が申し上げました判断材料としては、この三人の実行犯についてどう対応するかにむしろ我々は注目するべきであったんですね。今度の交渉において、この三名について、彼らがもし引き渡しをする、あるいは我々に事情聴取させるということであれば、まじめにもしかしたら対応しようとしている、こう評価できるかもしれませんが、全く関係ないというふうに言い放つのであれば、もう交渉するという意味がなくなってきているのではないか、経済制裁を我々はかける段階に至っているのではないかと断じざるを得ないのではないか、私はこう思うわけであります。

 その点を、副大臣また副長官、どちらでも結構でありますが、どう考えておられるかということをお伺いしたいと思います。

杉浦内閣官房副長官 三人の問題については、これは法務大臣に答弁していただくのが一番適当かもしれませんが、我が国の法律を犯しているわけでありますし、逮捕状も出ている、国際手配もしている。したがって、当然取り調べる権利はあるわけでございます。

 それに対して、ああいう今御説明のあった態度をとったということについては、これはまさに真正面から衝突していると言わざるを得ないと思うんですね。犯罪人引き渡し条約があれば、引き渡しを求める、こっちへ渡してもらって調べるということでしょうし、そこまでいかなくとも、きちっと警察官等を派遣して、取り調べに応じるということが必要だろうと思います。衝突している点だと思います。

 この点についてどう対応するかという点は、私ども政府としてとるべき対応の大きな一部であるというふうに理解しております。

安倍委員 残念ながら、北朝鮮の善意を我々期待していても、物事が全く動かない。これは、一九九三年以降、彼らが核の問題で危機を引き起こして以降の彼らの態度を見てきて、我々はそれを学び取っているはずであります。彼らを動かすことができるのは、残念ながら圧力のみではないだろうか、こう思います。

 ことしの国会におきまして、議員立法で、我が国のみで経済制裁を可能にする法律が通りました。この法律を通したら大変なことになる、日本にまるでノドンが飛んでくるようなことを言っている評論家、いいかげんな学者、たくさんいました。

 しかし、その結果どうなったでしょうか。いよいよこの法律が通るということになったら、五月の二十二日に小泉総理を平壌に招いたわけであります。そして、子供たちが帰ってきた、またジェンキンスさん一家も帰ってくることができたわけであります。まさに、この法案によって圧力をかけることによって初めて彼らは態度を変えた、そういうことであります。

 また、この経済制裁法によって日本独自で経済制裁を行っても、余り意味がないのではないかということを言う人がいます。そういう人たちのほとんどは、こんな法律を通したら北朝鮮が怒って大変なことになると言っていた同一人物が多いわけでありますが。

 今、日朝間の貿易が今でも活発に行われているわけでありますが、北朝鮮と日本の貿易総額、そしてまた北朝鮮から日本への輸出額、それは北朝鮮の総輸出額において大体何%を占めているか、それを日本の世界への輸出額のパーセンテージを、掛け合わせたものにすれば一体幾らになるのかということについて教えていただきたいと思います。

杉浦内閣官房副長官 日朝間の貿易総額でございますが、我が国からの輸出額及び我が国が輸出額全体に占める割合についてということでございますが、平成十五年における日朝貿易については、我が国からの輸出額は百六億円、輸出額全体に占める割合は〇・〇二%。平成十五年の我が国への輸入額は二百二億円、輸入額全体に占める割合は〇・〇五%となっております。

 北朝鮮の中における我が国との輸出入の資料は我が国にはございませんで、韓国が、大韓貿易投資振興公社、KOTRAというところが統計をとっておりますが、それを見ますと、この三年間ずっと減ってきております。

 二〇〇三年ですが、日本は三位でございまして、一位が中国、二位が韓国、三位が日本で、パーセントにいたしますと輸出総額の八・五%となっております。これは減ってきておりまして、ちなみに二〇〇二年は、日本が三位でありますが一二・七%。一二・七から八・五に減っております。その一年前、二〇〇一年は日本が二位でございまして、韓国より上でございました。一位はずっと中国ですが、一七・八%。だから、一七・八から一二・七、八・五と減ってまいっております。減った分は大体中国と韓国がふえたというような数字上の統計になっております。

安倍委員 今の御答弁ですと、韓国側の資料によると北朝鮮の総輸出量の八・五%、二百二億円ということであります。日本の世界への輸出量にこれを割り返しますと数兆円分に相当するというふうに思うんですね。

 ですから、北朝鮮の輸出で日本向けが二百二億円もし落ちるとすると、これは相当大きな打撃となるわけであります。例えばその分を中国に振りかえるということは、経済原則上、これは中国にもっと輸出できるのであれば、中国にもっと輸出していて日本にも輸出するということになりますから、日本が落ちた分はパーセンテージで中国がふえるということになりますが、絶対額ではそれは総輸出量の中から減っていくということになる、これは当然のことだと思います。

 そしてまた、ズワイガニの日本向けの輸出あるいはシジミ等の輸出には特定のある人物がその利権を握っていて、その人物はその上がりを北朝鮮に、これは献金という形で金正日政権に献金をしている。そして、金常任委員長がそれを軍人その他側近にばらまくことによって権力を維持している、こう言われています。それを断つことは極めて大きな効果がある、私はこう思うわけでございます。

 また、こうした貿易に対しては、朝鮮総連がいろいろな形でかかわってもいるわけであります。辛光洙事件においても、かつて朝鮮総連の下部機関である商工会の人物が関与した、これは非常に濃厚である、こう証言もあるわけであります。

 公安調査庁にお伺いをしたいわけでありますが、この朝鮮総連破防法の調査対象に今でもしているのか、そしてその他の調査対象にはどういう団体があるのかということをお伺いしたいというふうに思います。

柳政府参考人 朝鮮総連につきましては、かねてより、破壊活動防止法に基づく調査の対象として、その組織、活動実態などにつきまして調査を実施しているところでございます。

 また、朝鮮総連以外に調査対象としておりますのは、オウム真理教、過激派であります革共同中核派革労協解放派などでございます。

安倍委員 今の御答弁によると、朝鮮総連破防法による調査対象になっているということであります。

 各自治体が朝鮮総連の関連施設に対していろいろな免税措置をとっているということでありますが、これは例えばオウム真理教とか中核派の建物を免税措置にするというのとほぼ同じではないかというふうに、私は今そう印象を受けたわけでございます。

 今後、十五名の拉致事件、また特定失踪者を含めて、真相究明において国内においてしっかりと捜査をしていただきたい、こう思うわけでありますが、まさに聖域を設けずにしっかりと捜査を進めていただきたいと思います。

 警察庁の決意のほどをお伺いしたいと思います。

瀬川政府参考人 現在、拉致事案に関しまして、数多くの失踪者を対象に警察としては捜査を鋭意進めております。そしてまた、最近のこういった状況の中で、北朝鮮による拉致ではないかという届け出、相談等が非常に多く今寄せられてきております。したがいまして、先ほど来御答弁申し上げておりますように、十件十五名以外にも、これは多くの拉致事案があるのではないかという前提に立ちまして、鋭意捜査を今後とも進めてまいりたいと考えております。

 十月には、全国の拉致問題の捜査担当課長を集めまして会議も開催いたしました。よって、こういった問題に対して全国警察の総力を挙げて、また総合力を発揮して取り組むという所存でございます。

安倍委員 ことしに入りましてから、横田さん初め、死亡あるいは行方不明と北朝鮮側から通告された方々がすべて死んでいるという情報が、かなり日本側に対して北朝鮮から謀略的に流されているというふうに思います。

 我が国としては、あくまでもこの十名の皆さんが生きているということを前提に交渉を進めていっていただきたい、こう思いますが、政府側のお考えを最後にお伺いしたいと思います。

杉浦内閣官房副長官 もちろん生存されているという前提で進めております。実務者協議にも臨みましたし、今精査を行っておりますが、きちっと精査をして、そういう前提で今後とも取り組んでまいる所存でございます。

安倍委員 ありがとうございました。