2021-01-01から1年間の記事一覧

1933年発行 矢内原忠雄 "Japan’s Mandate in the South Sea"

矢内原忠雄の南洋群島の研究英語版をウェブで探して、確か100ドルくらい払って購入したのが10ページほどのこの冊子だ。すごくショックだった。後日30ドル位で英語訳の本をゲットした。 ある時ふと気がついてこの冊子の出版日を確認。OMG! 1933年3月で…

「新渡戸稲造旧蔵書の書き込み調査の経過」 (読書メモ)

日本の台湾植民に関する3千ワードの論文執筆依頼をいただいた。私が日本の台湾植民は、英国の香港植民を見習ったものである、と発言していたのをあるメディアが見つけ執筆依頼を受けた。 後藤・新渡戸・矢内原を中心に日本の植民政策について10年近く資料を…

再々・・読『植民政策より見たる委任統治制度』矢内原忠雄

ミクロネシアの地域枠組みと太平洋諸島フォーラム離脱の事を書くために、矢内原忠雄の『植民政策より見たる委任統治制度』を、何度目だろう?再読した。 特にC式委任統治制度の「門戸開放」の件を確認したかったからである。やはり反対したのは豪州とニュー…

家永豊吉ーもう一人の太平洋の掛橋「俺はジャップを撃ったんだ」

新渡戸の「植民者としての日本」に出てくる家永豊吉。新渡戸と並ぶ日米関係の貢献者で同志社大学の関係者と聞いて関心をもった。 西田毅 「家永豊吉 もう一つの「太平洋の架け橋」同志社人物像76 より https://www.doshisha.ac.jp/attach/page/OFFICIAL-PA…

「日本及び日本人とアメリカの関係」1911.11於クラーク大学

新渡戸が"Japan as a Colonizer"を講演したのは1911年11月、米国クラーク大学であった。そこで「日本及び日本人とアメリカの関係」が開催されたのだ。この記録が同大学の The Journal of Race Development にある。赤にしたのがその記録。 The Journal of Ra…

「植民者としての日本」JAPAN AS A COLONIZER

1911年11月、米国クラーク大学で開催された「日本及び日本人とアメリカの関係」において新渡戸が講演した記録を和訳しました。同会議には新渡戸のほかに家永豊吉、朝河、高峰譲吉が参加。 西田毅 「家永豊吉 もう一つの「太平洋の架け橋」同志社人物像76 …

「植民者としての日本」翻訳事業

ずっと紹介したいと思っていて手が出ないままの新渡戸の講演記録。 最初に読んだ時の衝撃をまだ覚えています。 「見てはいけないもの、知ってはいけないものを見てしまった」 植民が悪いことと思い込んでいた10年前ほどの私です。 今、学会論文が滞っていて…

『新渡戸と朝鮮半島』田中慎一 <読書メモ>

「閣下がビスマークにお会ひの時に内地植民の計画についてお聞きではありませんですか。必ずお聞きになったことと私は存じます。...」 「...社会政策上ドイツでは、一つの誇りとしてをる方針である。且つまた歴史に今までなかった試験をしたことで、こ…

新渡戸稲造の農政思想と『武士道』清水徹朗ー読書メモ

新渡戸が日韓併合に大きく影響した事に関する、北海道大学の田中慎一教授のペーパーをまとめようと思ったのですが、ウェブ検索で農林中金総合研究所、清水徹朗氏が書かれた「新渡戸稲造の農政思想と『武士道』」を見つけ、興味深かったので先にブログに上げ…