新渡戸が日韓併合に大きく影響した事に関する、北海道大学の田中慎一教授のペーパーをまとめようと思ったのですが、ウェブ検索で農林中金総合研究所、清水徹朗氏が書かれた「新渡戸稲造の農政思想と『武士道』」を見つけ、興味深かったので先にブログに上げておきます。
https://jshet.net/wp-content/uploads/2019/02/2019_2_2_7_shimizu.pdf
「しかし、新渡戸の思想や言動に時代の制約があったことは否定できず、『武士道』も、単に肯 定的に評価するだけではなく、軍国主義との関係も含め再検討する必要があり、植民思想に関 しても、朝鮮半島、日中関係が揺れ動いている今日改めて研究する意義があるだろう。」
と結ぶこの論文は、『武士道』と同じ頃に書かれた『農業本論』の方が重要なのに難解さもあってあまり読まれていない、という当方と同じ意識を持って書かれています。
新渡戸といえば武士道。この偏見を打ち壊すことがこのブログの目的でもあります。
柳田國男は新渡戸の「地方学(ヂカタと読む)」から強い影響を受けて民俗学に進んだが、科学性を否定し、ジュネーブ国際連盟で新渡戸と決裂。しかし柳田は終生新渡戸の背中を見ていたことは以前書きました。
マルクス経済学者、河上肇も新渡戸の『農業本論』から強い影響を受けていた事は知りませんでした。京都左京区に住み、法然院にお墓がある事も。。今度お参りに行ってみます。
新渡戸は武士道が日本の道徳の基盤としてあることを英語で世界に広めた人物。しかし多くの関係者、門人が、新渡戸の考えを曲解してきたし、今でもしているのでしょう。
清水氏は、東京大学学長井上哲次郎が新渡戸の武士道を否定する形で『武士道叢書』を編集、 山鹿素行、中江藤樹、吉田松陰など江戸期の思想家の武士道論を示し、これが国体の本義に引用され、軍国主義に繋がったとあります。
2019年9月、吉野作造の勉強会参加への道、東北を訪ね、後藤と新渡戸の足跡を辿りました。花巻の新渡戸博物館には、新渡戸の祖父傳が開拓した水路の詳細が展示されています。これが新渡戸稲造の農業開拓、すなわち植民政策の哲学にある事を確信することができました。