村井紀著『南島イデオロギーの発生』は柳田批判で話題になった本ではないかと思う。薄っすらとした読書の記憶しかないが共感する部分と、小熊英二の「単一民族の神話」にも通じる左翼的な「匂い」を感じて、柳田に距離を置くきっかけになった。
同志社大学の図書館で借りてざっと、再読した。
これほどの思い込みで書く文章はエッセイなのか学術論文なのか?稲村さんの新渡戸への思い込みが可愛く見えるほどだ。著者村井氏は国文学・思想史の教授である。いや新渡戸が植民主義であることを知らない、もしくは無視する人が多いなか、はっきりと新渡戸がコロニアリストと認識しているところは尊敬する。
しかしその新渡戸の植民政策学の理解が間違っていることと、柳田が新渡戸と同じ植民主義者である、という認識は間違っている。柳田は植民政策を理解できず国際連盟を辞任したのだ。もしも、柳田が新渡戸を理解していれば戦争が始まってからオランダ領ニューギニアを第二の日本にしよう、などと言わないであろう。もし新渡戸が生きてそれを聞いたら卒倒したであろう。それほど新渡戸の植民政策を柳田は理解していなかったのだ。
村井は柳田を植民地主義者、帝国主義者として糾弾し『海上の道』で日本人の起源を南に求めたことで、日韓併合、山の人=部落差別から逃げたことを糾弾している。さらに柳田・折口の民俗学の「家と郷土」がナチズムの「血と土」であり、新国学として全体主義との「類縁性」がある、と主張する。
民族主義のネトウヨと称する人たち、すなわち稲村氏であるが、彼らを支えているのも柳田の民俗学であろう。赤松啓介が「柳田民俗学には、日本人は太古の昔から優秀な民族で、これからも繁栄していくという空疎な前提がある。」と書いていることを村井は引用している。
村井の思い込みたっぷりの文章に違和感を感じながらもハンナ・アーレントの『暗い時代の人々』が引用されている箇所は勉強になった。耐え難い現実から逃げるために想像上の世界に引きこもってしまう「内的亡命者」が満蒙開拓義勇軍を推進した人々であり昭和ファシズムの形成につながった、というのだ。柳田の民俗学がそれを支えた、というのだ。
ところで村井氏も佐谷氏も国文学者である。国文学者が植民政策論を語ることに無理がある。新渡戸の植民政策を柳田は理解せず、文学の分野に迷わせてしまったのではないか。柳田自身が『遠野物語』は文学である、と言っているのだ。現実ではないということだ。新渡戸が一度は柳田に託した「委任統治制度」は矢内原が立派な論文を書いている。新渡戸を知らずに新渡戸を語る人が多いのは、柳田のせいかもしれない。