維新負け組の新渡戸

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 稲村公望さんの新渡戸に対する誤解を解きたく、それはある意味世間の新渡戸に対する誤解にも通じるので思い切ってこのFBとブログを立ち上げました。

 さて「武士道」を書いた新渡戸は武士の階級。すなわち庶民よりも位や社会的環境は恵まれていた、のでしょうか。これは二重にも三重にも間違った理解です。

 産経新聞で新渡戸と後藤を扱った「維新負け組のリベンジ」(2020.4.1)という記事を見つけました。(有料です。)

 新渡戸・後藤は武士ではありますが維新の「負け組」だったのです。新渡戸の書いたものを読むとどれほど厳しい生活であったか、そしてこの記事にあるように身近な人の処刑を経験してきているのです。

 新渡戸が北海道の農学校に行ったのも授業料がタダだったからです。キリスト教信仰心があって、というわけではなかった、とこれは新渡戸自身が書いています。

 後藤も新渡戸の海外留学は私費でした。官費で国の留学生として派遣された他の日本人学生が観光をしている間も必死で勉強したそうです。

 記事には「リベンジ」とありますが、後藤・新渡戸を評価した児玉源太郎長州藩。後藤は肥後細川藩の安場保和に認められ安場の娘を妻に。

 維新の戦いでも日本は国を2つに割らなかったのです。これも新渡戸が書いています。