新渡戸と柳田の関係

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早速だが稲村さんがおもいっきり思い込みで誤解しているのが柳田との関係。論文や本も出ています。

柳田に地方の、すなわち民俗学の道を開いたのは新渡戸なのです。

引用します。

村松玄太、「近代日本における地方の思想に関する一・考察新渡戸稲造柳田國男の地方観を中心に」『政治学研究論集』明治大学大学院 (第15号),69-83頁 2001

「そして,柳田の地方像の形成に大きな影響を与えた点で注目されるのが,新渡戸稲造(1862-1933)の農政学である。新渡戸は農政学の立場から「地方(じかた)学」を提唱し,柳田が郷土研究に向かうきっかけを作った。」

「1907年に報徳会で行われた新渡戸の講演「地方学の研究」を,当時34歳の法制局参事官であった 柳田は聴いている25。柳田がこの講演にどのような感銘を受けたかは,書き残されたものが存在しないため,明らかにはならない。しかしおそらく柳田は,この新渡戸の講演と,彼の提唱する「地方学」に大きな関心を持っていたことであろうことを,いくつかの傍証によって明らかにすることができる。」

注には柳田が新渡戸から影響を受けたことに関する先行研究が書かれている。

「新渡戸の地方学の柳田への影響については,浩潮なものを含めていくつかの研究が提出されている。その先駆的な指摘は橋川文三柳田国男 その人間と思想』(1964年)(前掲著作集2巻所収)である。橋川は日本にお いて,地方研究の視野を含んだ最初の農政学的考察であった新渡戸の『農業本論』に,柳田がおそらく強い感 銘を受けたであろう事を指摘している。橋川は「明治政治思想の一断面」(1968年)(前掲著作集3巻所収)でも新渡戸の「地方学」の影響を指摘している。後藤総一郎は,新渡戸の「地方学」を詳細に辿り,柳田への地 方学の影響を考察した(「地方学の形成」(1975年)『柳田国男論』恒文社,1987年所収)。また蓮見音彦は「新 渡戸博士の農業論」(東京女子大学新渡戸稲造研究会編『新渡戸稲造研究』春秋社,1969年所収)において, 新渡戸の農業論を明治農業論の一系譜として位置付けた上で,その農政論が民俗学に影響を与えたことを指摘している。」