稲村公望さんと私の関係

稲村公望さんの新渡戸に対する誤解があまりにも酷いので立ち上げたブログですが、最初からアクセル踏みすぎると息が続かなそうなので、ゆるゆるやります。

稲村さんと私の関係ですが、90年代、稲村さんが郵政官僚の時、不正腐敗の温床だった笹川平和財団で、私が一人で太平洋島嶼国の情報通信事業を立ち上げODA まで持ってこれたのは、奄美大島出身の稲村さんが離島には通信が必要であるとの哲学を示してくれたからなのです。私の一つ目の博士論文はこのことをまとめました。

笹川平和財団は、笹川陽平すら太平洋島嶼国とは?通信とは?何も知らないし、関心もなかったのです。今思うと旧運輸省利権とは関係なかったから当たり前です。

そんなこともあり、そこら辺のバカ親父が新渡戸を誤解していても気にもしませんが、30年の付き合いになる稲村さんに、しかも東大出の元官僚である稲村さんに新渡戸を誤解したまま情報を発信して欲しくない、のです。

1933年バンクーバーで亡くなった新渡戸は日米両国から誤解されたままでした。誤解は今でも続いています。私もいつまで生きられるかわからないし、砂漠に一滴落としてみます。