「分福茶釜の解」ー新渡戸の植民政策を見る

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 桃太郎に続いて収められているのが「分福茶釜の解」(新渡戸稲造全集 第5巻 197-207頁、2001年、教文館

 

新渡戸は世間では「分福」ではなくて「文福」と広く知らされている事に疑問を持つ。そして起源は分福である事を友人の調査などの助けによって解明。即ち福を、富を分ける、経済の再分配を語っていることを分析しているのだ。

 

お寺が、お金儲けのために、大事な茶釜を人に貸す。貸された人はそれで一儲けして、お寺もその配分をもらう。大事にしまっておけば何の経済効果もない。

 

ここで新渡戸は西洋との比較をしている。

 

「従って宗教上の造営物ー財産も、世俗の用に立つことは至って稀である。既に西洋の法律でも、寺院の財産は、寄付者の遺言にあらざれば、処分する事の出来ぬようになっている。これをば死手(英語 Mortmain, 独逸語 Todte Hand)と云うので、寺院の財産は死せる亡霊の意思が、遺言に依って生存して居る故に、此財産を動かし得るものは、死んだ人の手にあるのだ。」201頁

 

そして新渡戸は財産について論を展開する。

 「金銭は動かなくては用を為さぬ、お足が無くては歩行かれぬ」 202頁

 

新渡戸は茶釜を貸して利息を取った和尚を経済人と立派と褒める。このような和尚がいれば今の寺院の経済難は避けられたであろう、と。

 

新渡戸は、分福主義と名付けて、富の分配、貧困問題、社会主義、資本の有効利用、資源開発等々、植民政策にも読める社会経済の話を展開する。

後2つブログをこの第5巻から書きたいのだが、此の本を返却しなければならないので分福茶釜の話は、まとめきれず終える。

この話が青空文庫に掲載されば、時々読みたい。