『日本-その問題と発展の諸局面』(28)

『日本-その問題と発展の諸局面』「第四章政府と政治」を閉めるのは【十一、来るべき改革】

ここにある最後の部分、天皇制はどうあるべきかについては以前書いたが、再度コピーしておく。

「日本は、世界に対して、”尊王主義”は”民主主義”と矛盾しはしないこと、それはプロレタリア問題を処理する力がなくはないこと。国王は社会正義達成のための”天”の器となることができることを証明する公道に就いているのである。」(『日本ーその問題と発展の諸局面』243頁,新渡戸稲造全集第18巻、2001年、教文館

【十一、来るべき改革】の前半は日本の歴史にあった3つの改革 ー 1)七世紀の大化の改新、2)12世紀の鎌倉時代の改革、3)明治維新 について述べている。

新渡戸は2つ目の鎌倉時代の改革が他の2つとは全くちがっていた事、即ち将軍制の創設と封建制の開始は「日本国家の基本的構想からの逸脱であった。」と主張する。(235頁)

「日本国家の基本的構想」とはなにか? 

「正統的な国体観、統一国家観は、統治する家系の権威の維持である。」即ち聖徳太子が確立した天皇制だ。

鎌倉時代以降の封建制はヨーロッパのそれに酷似しており、人類の社会進化における同一の政治経済段階にあった、と。ここでヘーゲルを引き封建制の家臣の忠誠は「不正な原則の上に確立された紐帯」と呼び、封建制は虚構であったとする。新渡戸はヨーロッパの封建制が「無限の虚偽」であったならば日本の封建制もそうであると宣言できる、述べる。さらに新渡戸は、日本の封建制平安時代の王朝と明治の復古の間に割り込んだ国体の連続性を破ったものである、と。

新渡戸は日本の封建制と欧州の違いをここで強調する。

将軍が領地を分配する時、かれはその所領を天皇から委託されていることを否定しなかったのである。新渡戸は日本の将軍制と封建制度が国体を、聖徳太子の理想を裏切る事となったが、その時代の必要を満たす手段であったと擁護する。

「将軍制は、源氏と平家の宿恨の結果であった。」

その背景として「われわれの父祖が一塊のパンを求めたのに石を与えられたのではなくて、石を憧れて石を得たのだった。」(237頁)

父祖とは天皇であり、石とは武士であろう。

ここで以前の文章を思い返して見ると、太子が天皇制の確立のために仏教を擁護した結果、仏教がその宗教的目的lから外れ、大きなな政治的軍事的力も持つようになり、このため天皇はサムライの支援を頼まざるをえなかった。しかし、今度はこのサムライが天皇の力を奪い取る事になる。天皇の正当性は残して。

 

【十一、来るべき改革】後5頁強ですが、残る部分は大化の改新明治維新天皇制の理論背景となるので、じっくり読んで次の項に譲ります。