『日本-その問題と発展の諸局面』(30)

『日本-その問題と発展の諸局面』の第6章、労働、食糧、人口に国体と労働問題が出て来る。

 

まず新渡戸は失業と言う職業は日本になかった、と説く。何某かの形で職がえられたし、なければ家族が守った。勿論実際の話は数々の悲劇と喜劇があった、とも。

 

19世紀の個人主義自由主義から無視されていた「生きる権利」と「労働する権利」は民主主義の主張が大きくなるにつれて強調され、雇用問題と失業問題が重大となる。

 

しかし、新渡戸は日本の「国体」に「労働保護という思想の豊かな芽生え」があると主張する。なぜならば日本のナショナリズムが家族制度のイデオロギーに密接に関連しているからである。「それゆえ、”日本皇室”が労働の利益に深い配慮を抱いておられても、驚くには当たらない。」と。(304頁)

 

新渡戸は労働問題の日本の特徴として興味深い説明をしている。

日本の近代産業の発達は西洋諸国からの脅威もあって、国主導で進めれた。ここが自由主義で進められた西洋諸国と違うところ。その結果「大企業と国益とのこの提携から、奇妙な精神異常が起った。」と指摘する。

「奇妙な精神異常」とはなにか?

大企業に投資したり後援する事が「愛国的義務」となり、「資本家が公共の恩人であり、愛国的市民であるかのように扮った。」と。「扮った」というのは批判である。

そして、愛国的市民を扮した資本家への反対要求が反逆者扱いとなったのである。

これが新渡戸が言う「奇妙な精神異常」である。

 

さらに日本の労働運動の分析に入り、日本のそれはイギリスの労働党とボルシェヴストとの交流がある事を指摘する。その後プロレタリア政党の項目では学生、青年ジャーナリスト、芸術家は気まぐれな紛争を続け、これら左派は全般的崩壊の中に希望を見つけるが、その後の事はどうでもよいと。新渡戸は「それが左派の大自慢の「イデオロギー」である。」と切り捨てる。

 

ここの労働の箇所は、当時の共産主義や、財産を持たず、仕事もない地方の貧困問題と後に続く血盟団事件などと関連して来るのであろう。重要だと思うが宿題にして、次の「第七章日本人の思想生活」に移りたい。