矢内原の新渡戸観ー矢内原全集第24巻を返す前に

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矢内原の新渡戸観を、矢内原全集第24巻から4回に分けてひろってみた。

 

矢内原の新渡戸観ー『余の尊敬する人物』 - 新渡戸を知らずに新渡戸を語るなかれ

 

矢内原の新渡戸観ー天皇陛下への進講 - 新渡戸を知らずに新渡戸を語るなかれ


この本を返す前にもう少しメモを、引用文を残したい。どれも矢内原忠雄全集第24巻、1965年、岩波書店からである。

 「先生は憂国の士である。・・・日本人が日本の世界的地位諸方面に於ける其実情を理性上よりもつと深く知る必要より「日本学」を授けようかなど言はれた事もある。日本人に向かっては多くの西洋の美点を告げるに反し、西洋人には我等が聞いてもゾッとする程言葉強く弁護せられる。」(672頁)

 

「世間は先生を浅薄な才子、八方美人、偽善者である、教育者と風上に置けぬ人物であるといふ風に悪口した。これは主として私が一高に居た頃前後数年に亙って被られた非難であった。又先生は非愛国者であるといふ非難は、主として晩年10年間程に於いてうけられらのである。」(688頁)

 

「先生が『実業之日本』に書かれたものは、卑近な言葉で卑近な事を書かれた。・・・先ず家の女中さんに読んで聞かせて、女中さんからこれでよくわかりますと決済を下されるまで平易通俗に書改められた。」(689頁)

 

「何故先生は非愛国者であるとの非難誤解を被つたかといふと、先生は凡ての国民にそれぞれの立場があり、言い分があり、存在理由があると考へられ、之が先生の国際心の基礎であつたのである。」(693頁)

 

「私は先生の植民政策に関する学殖と経験、殊にジュネーブ在住の7年間において得られた委任統治制度の理論と実際に関する先生の知識と見聞をも含めた著述を残していただきたいと思い、再三先生に懇願して、私自身が資料の検討や筆記の労に当たるから、口述をして下さるようお願いした。」(722頁)(矢内原は新渡戸の死後、委任統治制度の理論と実際を一人まとめている。)

 

他にも引用しておきたい箇所は多々ある。

学問としては農学博士と法学博士であった、という。ダブルドクターだ。

そして日本の大学における米国研究の創始者の一人でもあった。

 

 

新渡戸が好きな花が梅と萩であったと(710頁)書いてある。

これは私の好きな花でもある。特に萩が好きだ。「萩」という字は和製漢字である。

そして、万葉集始め多くの歌に読まれているらしい。