矢内原の新渡戸観ー天皇陛下への進講

矢内原忠雄全集24巻を手にしたのは矢内原が新渡戸をどのように語っているか、それがわかれば、矢内原が昭和天皇に進講した「新渡戸稲造について」の中身がわかるかもしれない、と思ったからである。

 

なのでこの全集にある4つの新渡戸論の最後の章に、まさに矢内原が昭和天皇の進講した内容(多分)を見つけた時は飛び上がってしまった。

この箇所は簡単な新渡戸稲造年譜と1.新渡戸博士の人間観、2.新渡戸博士の平和思想、3.新渡戸博士の教育精神、4.新渡戸博士の愛した花、の4節が簡潔にまとめてある。

 

どこにもこの事を進講した、とは書いていない。最後に『銀杏のおちば』昭和28年11月刊所収、とあり、進講された年から4年後の出版である。

 

ただ最後に「蕪言清聴を煩せたが、或は以て皇太子の御教育上若干のご参考に資するところがあり得るならば、余の望外の光栄であろう。」(711頁)と結んでいるのだ。

 

この内容がそのまま進講の内容でないとしても、皇室を想定した内容であり、4年前の昭和天皇への進講に近い、と想像する事はそれほど無理がないように思う。

 

皇室で働く人々の中にも新渡戸の子弟が多くいたのである。ここに名前が上がっているのは矢内原の同級生だった三谷侍従長、先輩だった田島長官。

矢内原の文章で気に止まった箇所は

「若し当時の日本の教育界思想界が博士の精神を理解し、之を尊重したならば、今日敗戦の悲劇を見る事はなかったであろう。」 である。

 

新渡戸の植民帝国主義は歪んで理解され、特に人間形成や教育に見られた自由主義は戦争と共に捨て去られ、戦後矢内原などによって拡大されたのかも知れない。

しかし、そうなると新渡戸の主張した植民帝国主義に、矢内原はやはり蓋をしてしまったのであろうか? 戦後矢内原は植民研究を捨てているようなのだ。(まだ確認はしていない)