『柳田國男全集26 大正十一年~ ─大正11年・大正14年』
には、柳田が聯盟事務局で委任統治委員を務めた貴重な記録が残っている。
ウィルソンの掲げた世界平和がどれほど無意味なものか、
欧州人の戦闘的性格、有色人種を人とも扱わない態度、
ロシア革命後の元貴族の悲惨な最後 等々、新渡戸との決裂がなくとも、柳田が早々に欧州から逃げてきた気持ちがわかるような文章ばかりだ。
日本の委任統治にも柳田は否定的だ。
外国人への批判には、日本を代表して弁明に務めているが、国内向け私信には、日本の委任統治報告書の不備を指摘している。
聯盟の委任統治について論文を書いた矢内原と柳田はどこかで接点があったのであろうか?矢内原文書中で柳田に触れている箇所はまだ見た事がない。
逆に、このようなネガティブな欧州文化の中で、新渡戸は何を根拠に事務局次長として頑張る事ができたのであろうか?と不思議に思った。
柳田研究の中で、この聯盟時代の研究はまだほとんどないようなので、調べてみる価値はあると思うが、時間ができたら挑戦して見たい。