『日本・1945年の視点』三輪公忠著ー再読 第6章国家の連続性と占領協力

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第6章「国家の連続性と占領協力」に矢内原が戦後、新渡戸を守ろうとして、改竄したことが書かれている。以前読んだ時はそのことを確かめるべく矢内原や新渡戸にのめり込んで行ったのだった。

戦後の新渡戸に対する「誤解」「虚像」は弟子の矢内原が作ったのかもしれない。それは本来新渡戸が語っていたキリスト教でも、国際主義でも、武士道でもない、全く違った新渡戸である。最近、李登輝氏の訃報を中心に「武士道」が語られる度に大きな違和感しか感じないのだ。端的に言えば新渡戸の武士道は葉隠とかではない。よって李登輝氏が理解している武士道も葉隠とは関係ない、はずだ。

第6章「国家の連続性と占領協力」の冒頭は初めて読んだ気がする。終戦間近。戦火を避けて軽井沢に滞在していた近衛文麿や政界財界の名士と家族たちは、農民が畦道まで耕して食料を作る努力をしていたすぐ隣で、ゴルフ場の青々とした芝生を維持していた。(ゴルフの写真を探していたらNHKのドキュメンタリーがあることを知った)これを見た清沢洌は近衛たちの非国民ぶりを攻め、共産主義革命が来ると日記に書き残している。

近衛文麿筒井清忠先生の本でどんな人物かを知ったが知れば知るほど幻滅する。なぜ日本はこんな人物を指導者に選んだのか?彼を育てたのが玄洋社であり新渡戸であるのだが。。

1937年、軍の動きを批判した矢内原は東大を追われるのだが、終戦3週間後には東大に復職している。その代わり平泉澄は追放。矢内原は本居宣長の排外的日本主義を徹底的に糾弾する。その時矢内原は新渡戸の『武士道』も葬ったかもしれない。新渡戸の武士道は英語で書かれ、日本の道徳心を外国人に伝えることを目的としている。これを和訳したのが矢内原である。新渡戸は盛岡藩の武士の子、矢内原は愛媛県今治の医者の家系。