『日米関係史』ー1891年

毎日のようにトランプ大統領のニュースが氾濫し、イヤでも米国の様子が伝わってくる。

米国、日米関係と言えば新渡戸稲造で、彼がウィルソン大統領と机を並べたジョンズホプキンス大学への3年間の留学の成果とし執筆した論文『日米関係史』があることは知っていた。

新渡戸稲造全集17巻(2001年、教文館)に『日本国民』という1912年に出版された論文と共に納まっている。

 

日米関係史は下記の5章からなる。

第一章 ペリー提督以前の外国との交渉

第二章 ペリー提督とその先行者たち

第三章 外交と通商

第四章 日本におけるアメリカ人およびアメリカの影響

第五章 アメリカにおける日本人

 

この中で何点か印象に残った部分を書き留めておきたい。

 

あの不平等条約の背景である。

長州武士の軽はずみによる下関賠償事件が、即ち困難に遭遇している日本に対し、抜け目のないキリスト教4カ国が強奪の知恵を働かせ商業上の利益を引き出した。(433−434頁)

 

そして付箋がはがれてどの頁かわからないが、このペリーの船に乗って来た水兵が日本で「力車」を開発したのだそうである!

 

ペリーが来日した時に持っていた数々の品が紹介されているのだが、そのなかで新渡戸が一番重要と記しているのが電報用機材と鉄道列車の小型模型。通信と交通である。(466頁)後藤と新渡戸が会ったのはいつか?

 

ピジンイングリッシュ! このピジンという言葉の由来に諸説接したが新渡戸の説明は興味深い、というかこれが正解なのでは?「ビジネス」の中国式発音からきたもの、とある。(505頁)

 

そして米国への日本からの初期のある留学生の目的が「ヨーロッパ列強から日本が占領されるのを防ぐために、”大型船”を作り、”大砲”を作る技術を学ぶこと」(539頁)

新渡戸は米国の学問に満足できずドイツに渡りそこで博士論文を書く。日本の軍事技術も、多分、米国ではなくドイツから多くを学んだのではないだろうか?