新渡戸のマルクス批判

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ドイツの経済学者グスタフ・フォン・シュモラー

新渡戸全集第五巻を再度借りたのは、地方の研究を読みたかったのと、この巻に収められている「偉人群像」の伊藤公の章で新渡戸が日韓併合を伊藤公に説得している箇所を再度読みたかったからである。

新渡戸は韓国まで行って、2時間に渡って、伊藤公に対し、プロシャの、ビスマークの内国植民について講釈をしたのである。そしてこの内国植民については以前ブログで連載した高岡熊雄博士が詳しい事も他の資料でわかった。高岡は、後藤新平新渡戸稲造と共にドイツの内国植民の現地を視察している。

ところで、ここに書きたいのは新渡戸の「マルクス批判」である。 伊藤公の前の頁にあった第26章「学徒の模範」でドイツの経済学者グスタフ・フォン・シュモラーが紹介されている。新渡戸はベルリン大学でシュモラー博士の指導を受けたのであった。そして、彼の学徒としての行動を高く評価している。 シュモラー氏のマルクス批判が話の途中で項目を別にして立てられているのだが、新渡戸も同じ意見なのであろう。ちなみに新渡戸は「日本を滅ぼすのは軍閥共産主義」と言って命を狙われたのだ。

シュモラー氏のマルクス批判をここに引用する。

「しかしマルクスならば一度は読んでご覧なさい、文章もなかなかいいところがある。歴史を述べるところ等は面白く読めます。さうして論鋒も頗る鋭いですけれども、あの人の歴史の読み方が、大分間違っているように思う。逆境にをつて書いただけあつて、正義とか公平とかいふ方面には大分欠けてをるように見受ける。  また哲学的のところもヘーゲルを焼き直したやうな所が多いが、確かに新味はないでもない。先ず中等教育を受けた者は彼を面白く読むでせうが、しかしわれわれ学徒の眼から見ると、ただ際どい、かつ巧であるといふだけで、読めば慰み半分に読むくらいのもので、真面目になって彼の説を読むような気はしません。」

マルクスには正義や公正がない、まともな学者は相手にしない! シュモラー氏の言葉と裏腹に、新渡戸がこの文章を書いた40年後には、マルクスの名が日本に輸入され、神の如く尊敬されているのは不思議である、と新渡戸は述べている。新渡戸は後40年もたてば日本でも忘れられるだろう、と書いている。 新渡戸がこれを書いたのが1920年後半であろう。即ち40年後とは1970年頃。 西洋の学者はマルクスハンガリー動乱を機に捨てたが、日本の学者だけが崇拝し続けている事を新渡戸先生が知ったらなんと思うか。(まだいるんだそうすね)