『偉人群像』第31章竹内栖鳳画伯

                 京都東山の竹内栖鳳

 

 新渡戸稲造の世界は海のように広く、深い。

 新渡戸の交友の中に竹内栖鳳 画伯がいる。 竹内栖鳳、どこかで聞いた名前だったが、京都東山に家を建て今はイタリアンレストランとなっている。私は、(高いので)特別な日にこのレストランに家族で何度か行った事がある。

 『偉人群像』の第31章に竹内栖鳳画伯が書かれている。 田舎武士に生まれた新渡戸は美術、絵画の審美眼などない、と自ら批評。しかし人伝に聞いた竹内栖鳳画伯の人格に興味を持ち、友人に紹介してもらってから頻繁に訪ねた様子が書かれている。

 そこで新渡戸稲造は面白話をしては、竹内栖鳳画伯に絵を所望している。 竹内栖鳳と言えば、当時お金をつんでもなかなか描いてくれない画家であったようだ。 竹内栖鳳画伯は新渡戸が好きであったのであろう。 新渡戸に頼まれてどんどん描いているようだ。

 多分ただであげたのではないだろうか?

 気になる事があったので9月、東山の竹内栖鳳画伯邸、即ちイタリアンレストランを訪ねた。 新渡戸が議長をつとめた太平洋問題調査会第3回京都会議が開催されたのは1929年10-11月。 東山の竹内邸も同年に建てられている。

 もしかして竹内画伯はこの会議、即ち海外から多くの客人を迎える会議に間に合わせようとしたのではないだろうか?新渡戸のために。

 京都東山の竹内邸は1929年の春に完成したのだそうだ。