『日本・1945年の視点』三輪公忠著ー再読 4章アジア新秩序の理念と現実

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矢野仁一と内藤湖南 

 

三輪公忠氏のこの本と同時に後藤新平の大亜細亜主義の論文を読んでいる。あれこれ読みたい資料が出てきて収拾がつかなくなり、今4、5点を同時に読んでいるのだが、いっしょでよかった。同じ事が書かれているのだ。

後藤新平亜細亜主義が収まった「日本植民政策一班」は大正10年に発行されている。その同じ年(1921年12月25、26日、大阪朝日新聞支那無国境論)に京都帝国大学矢野仁一教授による中国非国論・無国境論が発表されている。矢野教授は日本の有数のシナ研究者。ここで無国境論、非国論の詳細は省くが、これが満州国建設の理論的根拠になったという。

同じ京大教授の内藤湖南も1914年の『支那論』1938年の『新支那論』で中国がナショナリズムが欠落している事を指摘。

この両名の支那論を読めば、現在の一帯一路、China Dreamのイデオロギー、思想的背景が理解できるかもしれない。

この矢野、内藤の支那論に後藤も影響を受けていたのであろうし、日本の中国認識があったのかもしれない。そこに黄禍論を導く白禍である。19世紀の欧米の植民地支配に苦しめられたアジア諸国が共に手を取り合って白禍に対抗する。日本はその盟主的役割をもっている。。

しかし1924年11月神戸で行われた孫文の「大アジア主義演説」を日本人は見事に誤解する。孫文は中ソの協力を主張したにもかかわらず、玄洋社を中心とする日本人は日中友好と捉えたのだ。なぜそんな誤解が生まれるのであろうか?そしてこの誤解はこのまま「大東亜共栄圏」に発展していく様子が描かれている。三輪はそれを「大国となった日本の奢り」と指摘する。

さらに陸軍の皇道主義に発展する詳細が描かれ、日本の古典に再出発点を見つけたと三輪は結んでいるのだがこの皇道主義は、葦津珍彦が指摘してきたファナティックでショービニスティックな神道だったのではないだろうか?

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