英国の香港統治を台湾統治に模倣した後藤新平は国際主義者のように思っていたが、下記の文を読むと強硬な”排他的”アジア主義である事がわかる。伊藤博文が反対した理由もわかる。後藤は蘭学を学んでいたが、同時に中国からも多くを学んでいたはずだ。というか日本の学問や思想の中心は中国のそれであったのではないだろうか?
後藤の中国認識が興味深い。4600年の歴史の中で28、9回革命が、すなわち易姓革命があり、その指導者は南、北から入れ替わり立ち替わりだったが、アジア州の人で、欧州人の統治はなかった、と。アジア州の中でも争いがあったがそれを超えて今があり、その文化は欧米とは全く異なっており、欧米とは意思の乖離があり、それは争闘の原因にもなる、と。
しかし現実は、意思の乖離と争闘が日本と中国・韓国の間に起こったのではないだろうか?
以下、後藤新平の「日本植民政策一班」付録「大亜細亜主義」を後藤新平記念館の学芸員の方達が書き起こし、漢字の説明をつけてくださいました。
およそアジアに国する者、その数鮮なからず、政体異同あり、人種宗教また岐異する所無きにあらず、しかれどもその大アジア主義におけるや、なおこれ日月に対し而して齊しくその光明を仰ぐごときのみ、中国黄帝より以来四千六百余年、革命二十八九次を累ぬ、その間政柄を執る者、時に南人有りまた北族あり、ついに未だアジア洲以外の人の入って而して国の鈎を秉る者あらず、是れ豈これを致す莫くして而して致す者ならんや、方今文化遂に進み、列国互いに競うて福利を増進し、武力を濫用して他の洲土を侵奪するものあるなし、然りといえども此れ長く恃むべからざるなり、優勝劣敗は天演通例、弱肉強食は古今一揆、何ぞ稍や自ら暇逸すべけんや、且つアジア諸邦の文化、欧美列国に遜ること遠し文化の懸隔は即ち意思の乖離なり、意思の乖離は即ち争闘の肇端なり、
異同…違っている点。
岐異…まちまち。
日月…太陽と月。また太陽のこと。
政柄…政権。
鈎…L型の物を引っ掛ける金具。深いところにあるものを引っ掛けるようにして取り出す。物事の道理を探る。
日本では、「はり」「釣り針」の意。
秉る…手に持つ。しっかりと持って守る。手に握った権力。
豈…「あに~(なら)んや」 どうして~であろうか(まさかそんなことはあるまい)
方今…いま。現在。
恃む…何かをあてにする。
天演…進化。 通例…慣例。
古今…昔から今にいたるまで。
一揆…揆は法則。道を同じくすること。
稍…だんだん。少しずつ。わずか。しばらく。
暇逸…暇で遊んでいる。
懸隔…へだたり。
乖離…違っていて合わない。
肇端…発端。