象徴天皇の起源

現行憲法天皇が象徴である、というのが新渡戸から引用の可能性がある、という文章を目にして、新渡戸ファン(専門家ではありません)として「そんなワケない!」という思いで新渡戸の文献を読んできた。新渡戸は自由・教養主義の植民・帝国・皇道主義なのだと想像している。

 

結論から言うと、天皇が国家統合の「象徴」シンボルである、というのは新渡戸がフランスの社会学者ブートミーが英国王室についてそう述べていたのを引用してきたのである。ちなみにブートミーは英国王室を「それは権威の像たるのみではなく、国民的統一の創造者であり象徴である、」と述べ、新渡戸はこれを『武士道』の中で引用している。

 

新渡戸は1931年の英文で出版された『日本ーその問題と発展の諸局面』の中で再び「天皇は国民の代表であり、国民統合の象徴である。」と述べている。しかし同書は神武から始まる日本の歴史、明治維新前後の天皇制を細かく議論しており、「象徴」という言葉だけで納得させた内容ではない。前にブログに書いたが再度一番下にコピーしておく。

 

最も重要な事は新渡戸は両書を英文で書いており、即ち日本文化歴史に馴染みのない西洋人に、天皇制について彼らの言葉で説明しようとしていることだ。よって「象徴」「シンボル」という言葉は新渡戸から出て来たものではなく、ブートミーをコピーしただけである。「象徴」「シンボル」という言葉の定義を議論してはいない。現行憲法に「象徴」という言葉が使われている事を新渡戸が知ったらどう思うか。。

 

 

現行憲法策定の際、GHQやその周辺の関係者が、英語で出版されていた新渡戸の両著書を知らないはずはない、とこの本を読んで思った。しかし、どれだけ新渡戸の意図を理解して「象徴」を憲法に盛り込んだのかは疑問である。文字面だけを追った、と想像する。

 

重要なのは2千年以上の天皇制をバックにした日本の歴史の中でほんの数十年、しかも西洋諸国への説明のために付された「象徴」という言葉は、言葉でしかなく、2千年の天皇と国民の間に培われた感性、情緒、共感を共有する言葉以上の存在、関係がある、という事、だと思う。新渡戸の著書を読むとそれが伝わってくる。

 

 

神道の自然崇拝は国土をば我々の奥深きたましひに親しきものをたらしめ、その祖先崇拝は系図から系図へと辿って皇室をば全国民共通の遠祖と為した。我々に取りて国土は、金鉱を採掘したり穀物を収穫したりする土地以外の意味を有する ー それは神々、即ち我々の祖先の霊の神聖なる棲所である。又我々にとりて天皇は、『法律国家』[Rechtsstaat]の警察の長ではなく、『文化国家』[Kulturstaat]の保護者でもなく、地上に於いて肉身を有ち給う天の代表者であり、天の力と仁愛とを御一身に兼備し給うのである。ブルートミー氏が英国の王室について「それは権威の像たるのみではなく、国民的統一の創造者であり象徴である、」と言ひしことが真であるとすれば、(而して私はその真なることを信ずるものであるが)、この事は日本の皇室に就いては二倍にも三倍にも強調せらるべき事柄である。」(「武士道」新渡戸稲造全集第一巻 2001年 36-37頁より。下線は当方)