『矢内原忠雄伝』矢内原伊作著

矢内原忠雄伝』矢内原伊作著、みすず書房、1998年

矢内原研究をするには欠かせない著書であるそうだ。

矢内原忠雄の長男、伊作氏が父親の死後12年を経て伝記を書く覚悟を決めた。

国際連盟に行く新渡戸稲造の後釜として東大での植民論を教える事となった矢内原。

2年近い海外留学から帰国直ぐに妻、愛子を失う。残された2人の息子を抱えた矢内原は再婚する事になるのだが、厳格すぎる父、実母の墓の存在を知らせない父に伊作氏はなにやら複雑な感情が存在するようだ。

矢内原の植民論を研究する上でも、彼の生涯を理解する事は大切な様に思う。

この伝記、図書館で借りて一度返却しなければならないので、簡単なメモだけ自分のために残しておく。

同書に「植民政策研究」という項目があり、矢内原の植民論を知る重要な資料だと思う。

記録しておきたい箇所が多々あるが、取りあえず下記だけ書き出しておく。

 

矢内原忠雄の植民政策研究の特色は、統治者の側から統治政策を考えるのではなく、社会現象としての植民を科学的に分析し、実証的調査によってその理論を検証し、ヒリファーディング、ローザ•ルクセンブルグレーニンといった人々のマルクス主義的方法を駆使しながら、帝国主義論の一部として、あるいはその中心として植民地問題を扱った点にあると言えよう。」(同書381頁)

 

矢内原伊作氏は哲学者であり、弟の経済学者矢内原勝の下記の記述の方が正確なのではないか、と思う。この中に出て来る木村健康氏のマルクスと矢内原の限定的な関係(下記引用文に下線をひきました)は「矢内原先生をしのぶ」『教養学部報』1962年1月,『矢内原忠雄— 信仰.学問.生涯 』468、に書かれているようなので後日読みたい。

また、矢内原忠雄が植民論を受け継いだ新渡戸稲造マルクスを知っていたが講義等で触れなかった事。矢内原忠雄が影響を受けたであろうもう一人の東大教師であった吉野作造が講義で取り上げていた事も書かれているのが興味深い。

 

矢内原忠雄マルクス主義の研究を行なった結果, マルクス主義がただに特定の経済学説もしく は政治学もしくは政治行動たるにとどまらず, これらを網羅しその根抵をなすところの一の世界観 であることを十分認識していた。そして社会科学の学徒とキリスト者であることは両立するかとい

う設問をし,両者いづれか一を棄つぺしとしたならぱ科学を棄てて信仰に生くる, としながらも, 両者に同時に従享できると考えている。 そして社会科学とくに経済学の理論として彼はマルクス経済学を採用した。それは当時の事情を把握し說明するためにこの理論が最も適当とみたからであろう。木村健康氏は,矢内原忠雄がマルクシズムの経済理論の部分を植民政策の研究の用具として使われていたにすぎないことがわかったとし, なぜこれを採用したかという理由として,他の経済理論にくらベてマルクシズムの経済理論が「神秘性」が少ないという答を得ている。」

矢内原忠雄の植民政策の理論と実証』より

三田学会雑誌 (Keio journal of economics). Vol.80, No.4 (1987. 10) ,p.285(1)- 309(25)

http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00234610-19871001 -0001