『日本-その問題と発展の諸局面』(4)

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新渡戸稲造の日本史。

オックスフォード大学歴史学者、H.A.L.フィッシャー閣下編纂の世界の歴史シリーズの一冊である。

フィッシャー閣下はデビッド・ロイド・ジョージ政権で文部大臣も勤めた方である。

 

やっと”神武天皇オーストロネシア語族”の箇所が書ける!

トントントン、と書く予定がここに来るまで数日を要した。この理由は次回書く。

 

二章 歴史的背景の第一項は「「日本の曙」

古事記日本書紀の世界が、学術的見地から紹介されている。

こういう説明であれば、英国人も、特に歴史学者であるフィッシャー閣下は理解されるであろう。

 

以下、『日本-その問題と発展の諸局面』二章 歴史的背景の「日本の曙」(54-61頁)から当方が関心をもった箇所を書き留めておく。

 

 

新渡戸はイザナミイザナギの話は神話学者に任せておいて、”帝国”の建設者の時代から始めようと提案。(54-56頁)

 

神武天皇」である。

即位の公式年代は紀元前660年だが、古代中国の書物によると日本は中国の年代算法を用いる以前、1年を2年と数えていた。春分から秋分を1年と数えていたらしいのだ。神武天皇古事記によれば137才で亡くなられたとあるそうだが、日本式暦であればその半分の68才。

日本に暦の知識が入ってきたのは7世紀。最初の公式暦の公布まで90年がかかっているという。

今何気なく当然のように使っている暦もその受容には、多大な困難を乗り越える必要があったのだ。

第一代天皇即位の年紀元前660年は、中国式暦の60年で一回りする干支に基づいて手加減を、即ち計算されたのであろう、と新渡戸は推察している。(56-57頁)

 

それでは実際に日本が統一王国になったのはいつか?

歴史学者がみとめるところではキリスト紀元のはじめごろであったという。

”太陽女神”の孫の系統にある神武天皇は九州で力を得て、東征し京都あたりまで征服した。(57頁)

 

神武天皇が従えた部族は、土着人だったかどうかもわからないし、人種も違っていたようだ。土蜘蛛、長髄彦という呼称がその特徴を表している。

統一される前の日本はどのような様子であったのか?

その頃は海岸沿い、川の流域沿いに定住した部族が絶えず争っていた。

新渡戸は中国の古記に述べられている紀元前3世紀の日本の事を紹介している。

島々に約百の王国があり、その中の30ばかりが中国の燕王朝の支配者に入貢しており、中国人の子孫であったとしてよかろう、と新渡戸は述べている。

 

興味深いのは、「日本の歴史家達は、まだこの事実を、反対理由を示しもせずに、ふつう拒否している。」(58頁)と新渡戸が指摘している箇所だ。皇室、天皇について学術的に語る事は許されない時代だったのであろう。

この本が書かれてから85年、現在は学問的研究が進み、反対理由なり賛成理由が示されている事を期待したい。

 

 

次に新渡戸は神武天皇は何人種だったのか?を議論している。

「彼らは南からきたマレイ族だったという提案がなされている。」(58頁)

私はこの箇所を眼にしたとたん、叫んでしまった!オーマイゴッド!

神武天皇は実在した可能性があり、しかもオーストロネシア語族

別に新渡戸が一人述べている件ではなく、誰かに「提案」されているのだ。

佐藤全弘氏和訳にはないが、英文の原文には文献リストが章ごとにまとめられているので、新渡戸が「提案がなされている」という根拠があるかもしれない。

 

新渡戸は、神武天皇の一族が何種族だったにせよ、「訓練の行きと届いた、航海上手の戦士の群れだったにちがいない」(58頁)と述べている。

これってめっちゃオーストロネシア語族ではないか!

新渡戸がこの本を書いた1930年頃はまだ知られていないが、日本人考古学者篠遠喜彦博士の釣り針の研究により、探検家(学者じゃないよ)ヘイエルダールのコンチキ号のインチキ説は払われて、オーストロネシア語族は約3千年前からアジア南東部(台湾という説も)から高度な海洋技術を駆使し何千キロというオーシャンハイウェイを構築していた事が、明らかにされている。

この事を研究した学術的権威の一人がピーター・ベルウッド博士で友人である。

昭和天皇か、今上天皇か、もしくは今の皇太子か忘れたが、ベルウッド博士は皇室に招かれご進講されているのである。

 

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日本の皇室が太平洋に寄せる関心は、小国への配慮、また日本の統治時代の背景があると今まで想像していた。神武天皇オーストロネシア語族説が全くの戯言でないのであれば、皇室は太平洋に広がるオーストロネシア語族ともつながっており、皇室はその関係を認識されているのかもしれない。

 

民族学者、大林太良博士が神武天皇の海洋民族説を書かれている本が手元にあったので、新渡戸からちょっと離れて、次回はこれを紹介したい。