神武天皇オーストロネシア語族説

新渡戸稲造の『日本-その問題と発展の諸局面』の備忘録をトントントンと書く予定が足踏みしてしまった。

前回書いた「神武天皇オーストロネシア語族説」が原因だ。

最近開拓された台湾サークルのSNSに発信してみた。

 

私「神武天皇オーストロネシア語族だったら、台湾の原住民、太平洋島嶼国の人々つながるね。」

T「新渡戸稲造なんか天皇の事を知らない。平泉澄の言った事を信じよ。」

私「新渡戸の言論を知ってるの?」

T「知らない。」

私 目が点

F「神武天皇オーストロネシア語族でも今の天皇とは関係ない。」

私「その理由は?」

F「何か気に触りました〜?」

私 目が点

 

今って戦後70年だよね。戦後のGHQの検閲も戦前の天皇に対する言論統制も両方生きてるんだろうか?

それに神武天皇オーストロネシア語族ってそんなにトンデモ説なんだろうか?

で、台湾研究者はもしかして(日台関係で一番重要な)後藤新平新渡戸稲造の言論を知らないんだろうか?(知らなそうなのだ)

 

自分の娘、息子のような若者を前に、衝撃を受けたのだが、これがきっかけで色々本を手にした。

 

巨眼の民族学者(と帯にある)大林太良博士の『海の道、海の民』(小学館1997)である。

神武天皇が海人であった事が書かれている。

 

「そして山幸彦、その子のウガヤフキアヘズは、ともに海神の女をめとり、二代続けて海神の血が入って、はじめて初代の天皇、神武が生まれたのであった。(中略)天皇は海神の子孫だから応神天皇のときまで、竜のようなしっぽがあったという奇怪な伝承を記している。」(40頁)

 

大林は、神武東征伝説で神武天皇を救った海の動物亀と、天の動物の鳥は海を表しており、逆に陸を表す熊が神武の東征を拒んだ、ともラ書いている。(41頁)大林先生が生きていたらお伝えしたい。

鳥は海洋民族にとって航海案内人なのである。地図もGPSもない時代、どうやって海原はるか向こうの島や大陸を予想できたか?鳥が渡ってくるのである。これ篠遠先生から教わりました。

 

『海の道、海の民』のあとがきも興味深い。

 

「海が日本人と日本文化にとってもつ意義があらためて評価される機運もでてきた。(中略)海は第一章でも論じたように、日本の古代においては王権の根源であり、また神話的世界においておおきな役割を果たしてきた。(中略)しかし、東アジアの歴史と文化において中心地位を果たしてきた中国では、海の評価は極めて低かった。」(275頁)

 

神武天皇の事を調べていて始めて知ったのだが今年、天皇皇后両陛下は神武天皇二千六百年式年祭に臨まれている。天皇家の始祖である神武天皇が海人であった事をご存知ないはずはない。

ちなみにオーストロネシア語族の事を知らない台湾サークルの人のために書いておくと、台湾かアジア南東部の海岸沿いから3千年以上前に出立したオーストロネシア語族パプアニューギニア東部海岸地域に到達し、神武天皇が奈良辺りまでを統一していたキリスト紀元初期には、太平洋のど真ん中にあるマルケサス諸島まで植民していた。しかも数千キロのオーシャンハイウェイを行ったり来たりしていたのよ。