『日本-その問題と発展の諸局面』(12)

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朝廷を支持した大英帝国ヴィクトリア女王
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幕府を支持したルイナポレオン


新渡戸の『日本-その問題と発展の諸局面』から天皇論に関連する箇所をなぞっている。

今回で第二章の歴史的背景を終了する。徳川幕府時代の天皇論である。 要約して書くはずが、一つ一つの事項が重要に思え、10回を超えてしまった。

強靭な幕府体制は強靭な将軍を作り、誰一人将軍に反抗する者はいなくなった。 天皇御料金にいたっては、ほんの涙ほど。 徳川将軍は約300人の大名を、武器ではなくスパイ制度で完全に服従させた。

そんな中、家康の孫、水戸公が日本史を熱心に研究し、政治理論までその研究は及んだ。そこで将軍の正統性という教義になり、国民信仰の研究になり、神道が国の正しい統治者は天皇唯一人であることを明らかにした。 その後2世紀が過ぎる中で将軍の力は弱まり、武士の士気はだめになり、商業や文化が栄え、庶民が覚醒し、商人や資本家の影響力が高まった。

1853年のペリー提督の訪問で、将軍の能力と正統性はますます怪しくなり、天皇の正統性が現れてきた。 第二章の最後に新渡戸は英国人が聞いたら喜びそうな話で締めくくっている。実は当方も明治維新の話を英国系の方にする時この話をしている。 当時、イギリス公使は薩長と共に皇室側を味方した。

他方、フランス公使はルイ・ナポレオンの指示を受けて徳川方を支援。新渡戸は「アジア史は、内乱の際の外国の援助が致命的結果を招いた例に充ちている。日本人は(中略)ちょっとでも外国の影がさすと、もっとも激しい敵同士をも近寄せるのだった。」 アジアと違い、英仏の介入が逆に日本国家を強固に統一したのである。 孝明天皇天然痘で1868年に崩じた事で(暗殺の暗示も込めて*)新渡戸はこの章を結んでいる。

 

第三章は「新日本の出現」。 近代の天皇制が、そして天皇象徴論がこの章に出て来るので、今しばらく『日本-その問題と発展の諸局面』をなぞりたい。

* 岩手出身の新渡戸幕臣側で、薩長にやられた方である。孝明天皇は討幕を反対し薩長に暗殺されたとの節もある。病原菌による殺戮はイギリスの十八番だ。そうか、明治天皇の東北巡幸の意味は深いんだ。味方の中に敵がいて、敵の中に味方がいる。。