『日本-その問題と発展の諸局面』(20)

14. 平和会議における日本、はベルサイユ会議の事である。

新渡戸は後藤新平に誘われてこの会議に参加している。

確か、後藤に「世界最大の茶番劇を見に行こう」というような事を言われて同行したはずだ。(記憶が定かではない)しかし、この会議参加で、新渡戸の国際連盟事務局次長という運命が決まる。

 

この節で新渡戸が一番に上げているのが日本政府が提案した人種差別撤回であるがこれはウィルソン始め西洋諸国がどのように対応したかは周知だと思うので省く。

2つ目が南洋領である。新渡戸はウィルソンはオーストラリアに全て与える事を考えていたという。しかし、戦争初期英仏と日本の間で既に赤道以北の独領は日本の譲れることとなった。新渡戸はヤップ島の海底通信ケーブルの事も書いていいる。

3つ目が中国が欧州、米国で行った反日宣伝活動である。日本がドイツから獲得した膠州は日本から中国の返す予定であったのを、中国が日本の領土的野心と宣伝し、平和会議から中国が直接獲得すべきと金切り声をあげたのだそうだ。中国は国内の内戦の没頭し、大戦には何の貢献もしなかった。しかし要求だけはしたのだ。

 

ワシントン会議については一般に知られていることばかりだが、新渡戸は米国のイエロージャーナリズムによって日英同盟が米国を敵視したものとみなされた、と指摘する。新渡戸は英国のバルフォアの言葉を長く引用しているのでそのまま孫引きしたい。

同氏は1915年チャーチルの後任として海軍大臣になっている。即ち日本の大戦での貢献を一番知っている人だ。日本帝国海軍と共に闘った人である。

新渡戸は「バウルフォア氏は同盟終結の夕べに、それについて、感情に頬を紅潮させながら語った。氏は感情的と非難される人ではない。」と前置きし、そのスピーチを引用。

 

日英同盟は二つの大戦争にあって偉大な目的に奉仕した。それは共通の犠牲、共通の不安、共通の努力、共通の勝利の労苦に耐えてきた。両国民が、かの火のごとき試煉によって結び合わされたからには、その終結に当たっても、列車の中で数時間いっしょに旅をした、見知らぬ人同士のように、互いに帽子を取って、礼儀正しく別れるというわけにはいかない。」

 

これは英文で読みたい。また英国人に伝えたい。こんな別れの言葉は最高である。

しかし、この本が英国人の知識人に向けて書かれている事、出版された1931年前後の世界の対日感情を考慮すると、新渡戸の、中立的学術記述といより、外交官としての意図的な英国へのメッセージであるように思える。

 

しかし、中国にそそのかされた米国は、どんな手段をとっても日英同盟終結させることがワシントン会議に第2にの目的であったのだ。