『日本-その問題と発展の諸局面』(19)

第一次世界大戦勃発時、日本はヨーロッパの戦争であるとの認識と、三国干渉の恨みが鈍り、ドイツに対する同情さえあった、という。新渡戸の記述で気になる箇所がある。

「またもし軍閥がきままに振る舞うことができたとすれば、日本がかくも速やかに”連合国”に投じたかどうかは疑わしい。」

新渡戸が言う軍閥は何を指しているのか?少なくとも大戦参加に積極的だった秋山真之(平間洋一著『第一次世界大戦日本海軍―外交と軍事との連接』に詳しい)とは違う。また親独であった、とういう事であろう。

そして新渡戸は参戦決意が当時の政権、大隈と加藤の先見の明にあった、日英同盟を文言でなく精神を見てとった、即ち道義的義務であったと主張する。(この本が英国の知識人を意識して書かれている事は念頭に置くべきだ。)

新渡戸は第一次世界大戦での日本の貢献が未だ評価されていない事を指摘し、もし日本が参戦していなければオーストラリアはどうなっていたか、と問う。

しかし大戦は、日本を誘惑する事ともなった。中国に対する処置とシベリアでの冒険である。

新渡戸は「二十一ヶ条要求」を ー 「それは大隈のいつもは”自由な”外交政策の一大失敗だった。」ー と書く。この要求は中国に利用され、米国の反日感情を刺激したのである。

シベリア出兵はニコライエフスクでの日本人住民全殺害を招き、日本の領土的野心の疑惑を世界に持たさせた。この侵入出兵は日本の自由党に強く非難されたが、軍閥はあまりにも深入りしすぎて元に戻れない状況を作っていた。

 

次回、平和会議とワシントン会議をまとめて三章を終了したい。